女子大生日記

どうでもいいことをツラツラと書きます。

一目惚れ

 

 

タイトル通りに一目惚れをしたわけですが、

儚く砕け散りました。

 

告白をして振られるまでもいかず、

一目惚れをした相手に興味を持ってもらえなかったので連絡がとれないのです。

 

私は以前一回同じようなことを逆の立場でしたことがあるのですが、こんなにも辛いものなのかと以前の相手に対して申し訳なく思いました。

 

人間の気持ちというものは難しいものです。以前私に一目惚れをしてくれた人のことを私は絶対好きになることはなかったでしょう。好きになってくれた人を好きになれたらどれほど幸せなことかと思ったのですが、なかなか私の心は、感情は、言うことを聞いてくれません。

 

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私は恋愛体質であり、男女のアレコレというものに興味津々なタイプです。

私は今まで自分は恋愛体質であるということを自覚し、生きてきたのですが、ここで恋愛体質であることに対して考え直したいと思う

 

私はなぜ恋愛に興味があるのか。

 

それは、自己承認欲求のためでした。

 

自分が好きになった相手に対して好きになってもらうことで自己承認欲求を満たそうとしていたのです。さらに、自分より秀でていると思う人を好きになり、その人から好かれることによって自信を持とうとしていたのです。しかし、そのような相手に対しての一方通行な想いの多くは失恋に至ります

 

私はここで

"こんな私だし仕方ないか"

                                         と思います

 

しかし、これが間違いなのです

 

"こんな私を逃すのはもったいない"とここで思うべきなのだと

 

私は恋愛を成就させることで自己承認欲求を満たし、自信を得ようとしていたのに気づいたので今日からはそれら2つを得るための他の方法を模索したいと思います

 

自己承認欲求を満たし、自信を持った自分はおそらく想像できないくらい素晴らしい「私」であるはず

 

そのときが来たとき、私の恋ははじめて上手くいくのだと思う。

そのときが来るまで、私には恋愛をする資格はありません。

 

そのときが来るまで、サヨウナラ

 

 

ウェイウェイ大学生

 

 

日本人の大学生は本当にオシャレだと思う。

多くのオシャレに気を使っていて女の子は化粧をしていて

大学は可愛い子で溢れている。

 

そんな可愛い子が私は好きだし、

世の中の人は可愛い・綺麗な子だと思う。

 

しかし、海外に来て思う。

大学生見た目に気をつかってなくない??

 

そしてそれと同時に日本の大学生勉強してなくない??

とも感じた

 

www.co-media.jp

 

上記の記事を読んで、まさに今私が感じていることが書かれていた。

 

日本で大学生として過ごしていたら

“遊ぶのが学生の本業”なんて言葉もあり、

私の周りにいる人は勉強していない人だらけだった

 

けれど私には真面目に勉強して大学でもさっとしている人より

オシャレに気を使ってコミュニケーション能力高く勉強せず遊んでいる人の方が輝いて見えた

 

その考えが尾を引いてしまっている

 

海外の大学生は

「真面目に勉強して大学でもさっとしている人」しかいない

 

本当に海外の大学生は物知りでその分ちゃんと勉強もしている

 

こっちにいる間に

「真面目に勉強して大学でもさっとしている人」の魅力がわかればいいなあ

 

みんなドアップで自信を持った顔つきですっぴんの写真を撮り

それをSNSにあげる

私には到底できない

 

日本人はおそらく見た目を気にしすぎている

韓国人もだけど

日本にいるとオシャレでいることを強いられる

 

その考えに影響されて見た目に意識がいき過ぎている

 

これは日本にいた時から改善したいと思う課題

 

そこから抜け出さないと海外で生きていけない

 

「人の外見で判断してしまう癖」

どうやったら人を外見で判断しないで済むのだろうか

 

 

 

 

 

 

風邪をひいた

 

昨日風邪をひいた。

朝から軽い腹痛に襲われたが、友人と遊ぶ約束をしていたから

気にしないふりをした。

 

しかし、学校に着き授業が始まると

全く頭が働かないし、いつものようにインプットができない。

 

珍しく友達との約束があったのに仕方なくそれをキャンセルして

授業後そそくさと帰宅した。

 

帰宅する頃には腹痛とともに頭痛と関節痛も発症した。

私は日本にいるとき、自分は丈夫だと思っていたが案外弱い。

 

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今日は学校を休んだ。

 

頭痛と関節痛はなくなったが、腹痛は一向に良くならない。

勉強しようとしても頭がぼーっとしてしまう

 

風邪のせいで何のやる気も起きないから

今日は将来についていろいろ考えてしまった

 

とりあえず将来に対して抱くことは

 

「働きたくない」

 

けれど、生きていくためにはお金が必要だし、

私はお金が好きだし、お金を得るには働かなければならない。

 

自分はどんなところで働きたいのかなあ

 

最近社会人の人々にたくさん会うため

頻繁に「どんなことして働きたいの?」と聞かれる

 

留学する前は「海外と触れ合う仕事がしたい」と思っていた

海外で生活しながら営業とか、外資系とか

けど、いざ留学してみるとそこに疑問点が生じてきた

 

海外と触れ合う仕事がしたかった理由は

①憧れ②かっこいい③海外が好き④刺激的な生活になりそう

この4つの理由だった。

 

でもいざ留学してみたら

日本にいるときは海外にいる他者に対してかっこいい憧れを感じていたけれど、今自分自身が海外にいる身として、自分のことカッコイイとか思わないし、そんなことより生きていくのが大変。笑

日本にいると「平凡でつまんない生活だなあ、海外で刺激的な生活送りたい」と考えていたけど、いやもう1ヶ月で充分だ...と感じている。

 

海外が好きという点は変わらないが、

 

これは全て「旅行」でちょうどいい。

 

生活するのと旅行では違う。(当たり前)

 

というわけで留学する前は海外との仕事が多そうな企業ばかりを見ていたけど

もうそこに注目することは辞めた

 

今まで「海外の人と触れ合う仕事」と、あと「一流中の一流企業」ばかり見ていた

 

「一流中の一流企業」はどこも高給取りとして知られている企業が名を連ねているが、その実態はどこも残業だらけでハードワークを強いられるところばかり。たぶん。

 

日本にいるときはバリバリ働くぞ、ブラック企業かかってこいや

 

くらい強気だったけど、海外での生活で心が衰弱しているため

ブラック企業でなんて絶対働きたくない。

 

ホワイト企業で心穏やかに過ごしたい.....

という気持ちです

 

そしたらもうどこらへん自分就活のとき受けたらいいのか

全くわからなくなった

 

とりあえず

 

 

働きたくないなあ

留学して1ヶ月がたった

 

留学して1ヶ月がたった

 

来てすぐ大学がはじまり、怠け癖がついていた私は大学に通うことさえ辛いし、また怠けて日本で勉強しなかったことのツケが回って授業についていけず大変だった

 

なんと私は数字さえも覚えていなかったのです

 

初日の授業で当然みんなは流石に数字は知っていたし、知ってるも同然で年齢や生年月日を自己紹介で言わなければなからなかったのだが、数字をそこで覚えた私には生まれ年を言うのも年齢も言うのも難しかった

 

クラスでドベからのスタート

 

別にドベであるという事実はいいのだが、クラスの人と会話も全くできず、先生が何言っているかも分からない現実は辛かった

 

でもそのドベからスタートによるクラスの足手まとい感で私はついにやる気を出さざるおえない状況に追い込まれ、勉強スタート(笑)

 

この1ヶ月で聞き取る力が伸びたと思う

まだまだ話せないけど笑

 

今は授業で先生が何言っているか分かんないことはほぼないし、最近授業中分からない単語はあまりなくなってきた

 

自分なりの勉強方法を結構すぐ見つけられたのが伸ばすことができたんだと思う

 

語学で大切なのは単語量。

 

私の語学の勉強方法は「辞書」を読むことです

 

辞書といっても普通の辞書ではなくよくある簡易辞書。普通のより薄く、あまり使わない単語が省いてあるわけで、簡易辞書にのっている単語は重要なものばかり。普通の辞書より持ち運びもしやすいし。いいことばかりです。

 

今日は"k"やるかってなったらkからはじまる単語をひたすら見てやる気ない日は単語量が少ない"u"あたり見たり。まだまだこれを続けます。なんかもう飽き性でこの勉強方法飽きてきたけど…。

 

今のところ辛かったけど日本で平和ボケして何も苦労しないまま大学生活終えるよりは来てよかったと本当に思っている

 

また日本にいたときは思わなかった感情がある

 

"今この瞬間を無駄にしたくない"

 

海外にいるだからだろうか、貴重な時間な気がして一瞬たりとも時間を無駄にしたくない

 

日本にいると無駄なことをしてあっという間に時間が過ぎてもそこまで後悔はしないのだが、留学してからというもの無駄な時間を過ごすと自責の念に駆られる

 

これは日本にいたら持てなかった感情だと思う

 

あと他の留学生たちは私より物知りだ

 

日本にいたとき、私はあまり知識がないなと感じたことはなかったのだが、海外に来てからは自分の知識の無さに愕然とする

 

というのも日本では政治・歴史の話を全くしなかったからだ。

それは私の周りがそうなだけであって日本の学生達は政治・歴史について話しているのだろうか。。。

 

あと自分の国について話そうとなったとき自分は全く日本について知らないな、と痛感した。

もっと自分の国について知ろうと思った。

 

 

 

発展途上国

ーーー工事をしているのを見ない日ない。

日々発展していく街並み。

この国がどうなっていくのか期待しかない。

 

日本ではそう感じることがない経済格差を目の当たりにするし(物乞い、大学進学率とか)、あと個人的に宗教が興味深い

 

大半がムスリム、あとヒンドゥークリスチャンで構成されている。

現地の国民には国民カードというものがあり(マイナンバー的なものかな?)そこに自分が信仰する宗教を書かなければならないのだが、信仰していないとは書くことができない。ある特定の信仰していて当たり前なのだ

 

ムスリムが大半だし、もっとムスリムについて最近は知りたい。

モスクから聞こえるムアッジンの声は心地がいい。最近美声ムアッジンハンターになりつつある(笑)コーランを読み上げているのだろうが、コーランって具体的に何が書かれているのだろう。現地の人に聞いたところ意味を知らずに読んでいると言われた。結構衝撃的だった。

 

あとヒンドゥーの身分格差も興味深い。

外人である私はヒンドゥーで一番下の身分の人としか結婚できないよ、たぶんとムスリムに言われたけどどうなんだろう。気になる。

 

インドネシアは広いので、ジャワ島(首都ジャカルタがある方)の大半はムスリムだが、バリ島の方は大半がヒンドゥー。バリ島に行って現地の人にヒンドゥーについて話を聞いてみたいものである。

 

最近はドベという感覚もなくなってきたし、

たぶんクラスで他の人の方が授業で何しているのか理解していない

そしたらまた怠け癖がでてきて、無気力状態である

 

なんでもっと上を目指そうという気力起きないんだろうなあ...

 

 

 

 

 

まだまだだね

 

まだまだだね

 

私は精神年齢がまだまだガキです

 

ここでこう返答した方がベストだと分かっているのにもかかわらず、自分の気持ちを優先してしまう

 

大人になるということは

色々なことを心の中にしまい封じ込め

諦めることを指すのかな、と最近思う

 

例えば、新しくはじめたバイトで先輩からこうやるんだよ、と手順を教わるものの、店長からそれはそうではない、と叱られるとか。

 

「自分の監督不行き届きでした。申し訳ございません。」

部下のミスを上司である自分が受けるとか。

だって部下のミスって自分のミスではないじゃないですか。

 

社会人になったら理不尽なことで怒られることは多々あるだろう

 

ここで大人なヒトは

「申し訳ございません。私のミスです」

と謝るのだろうか。

 

自分が悪くないのになぜ謝らなければならないのか

 

自分バカだなあ、後々めんどくさくなるのにと思いつつ

自分の中にあることを出したくなってしまう

 

これから少しずつ諦めていこうかな

 

大人の人たちは諦めたともに何を感じているんだろう

 

ガキにはまだ分かりません

 

 

 

暗示

 

 

私は周りの人や環境に流されやすいタイプ

なので環境で自分自身がどんどん色々な人の影響を受けて、流されて、、、

日々自分をつくりあげている。

 

つまり、私にとって「周囲」の人間というものはとても大切なもの。

 

「周囲」には2つあって本来あるもの自分で築き上げていくものがある。

本来あるもの(ベース)…家庭環境、(自分の容姿に惹きつけられてくる者)

自分で築きあげていくもの…自分の内面、容姿に惹きつけられてくる者

 

ベースは重要ですよね。学生時代はここで決まる。

子どものとき、お金あるか・容姿がいいか悪いかは親にかかっていますよね。家庭環境で世の中格差が生まれていくのだな...

 

次に、「自分で築きあげていくもの」

これが魅力のある“大人”になるか否かのポイント。

 

容姿は、改善する努力をすればどうとでもなる現代。

貧乏であることが嫌なら稼ごうと努力すること。

 

変わろうと努力したか、自分を磨く努力をしたかが大切ですよね。

外見しかり、内面しかり。

 

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あることに気がついたんですけど

私は以前「友達は自然にできるもの」だと書きましたが、“自然にできる”には

条件がありました

 

それは、その人間に「魅力」があるかです

魅力というものはとても抽象的で感じ方は人それぞれですが、

私の中で魅力的な人は「自分に無いものを兼ね備えている人」「話があう人」

 

 

自分が築き上げたものの中で同等レベルの者とみなした人といますよね、人間って大抵。スクールカースト、学歴主義の存在がそれを忠実に表してくれている。

 

しかし、私は自分より魅力のある人に接近して仲良くなりがち。

そうすると、その環境に流され理想が高くなりがちだ。

 

理想的な将来や理想の彼氏など

「理想」について話すことが本当に無意味で非生産的なことのように思う。

 

「理想」を語る分にはいいが、その後どう実現するか詳細に話すことの方に意味がある。

 

「理想」を語りがちなわたし。

周りに流されてないで、「理想」の自分を築きあげろ

 

以上、自分への暗示でした

努力

 

私は人生で"努力"できた試しが一度もない。

 

努力してきたことがないのだ。

 

努力できる人はすごいと思ってるし、何故自分はできないのかわからなかった。

 

「何故自分は努力できないのか」については結構考えてきたが、「努力する意味」について今日初めて考えた。

 

何故人間は努力するのか。

 

それは生きるため。

また、自分を好きになるため。

人に好きになってもらうため。

 

生きるためという点では親には頭が上がらない。ぬくぬくと生きさせてもらってしまった。

 

自分を好きになるという点で私はデブだし、勉強もできない。自分を好きになるわけがないんですよね。嫌いです。

 

恋人もできません。

 

自分を好きになって初めて人に好かれると思うんです。

 

人に好きになってもらうために「努力」して自分を好きになろうと思います。

 

ダイエット

本を読む

勉強

日常生活(家事など)

学校

 

全てに「努力」したい。

 

自分を好きになるために。