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ひとりごと

大学にまともに通わず遊び呆ける一人暮らし生活を送る女子大生。単位も危ない留年なのかな。まともな生活送りたいなあ

傷つけて傷つける

 

 

好きな人を傷つけて

傷つけたことに自分が気づき傷つく 

 

これ言葉にだして言ったら噛みそう(笑)

 

最近色々な人を傷つけた

 

アルバイト先の人

友達

好きな人

 

傷つけまくり傷ついて、もはや人間不信に陥りそうだ

 

誰でもいい(本当は誰でもよくない)から

わたしの恋人となってわたしを慰めておくれよ

 

と言ったところで誰もいないのが現実である

 

わたしの周りにいる女性は彼氏はいないが本当は欲しいと言っている人が多いが

男性は彼女欲しいと言いつつ実はそんなに欲していない人が多い。

 

なぜ彼女が欲しくないのであろうか

 

普通に欲しい気持ちでいっぱいなのだけど

 

嗚呼、心が痛い

 

痛くて辛い

 

忙しい

 

 

ゲーム

 

 

私という人間は恋愛において

 

好意を「受け入れる」より「与えて追いかけたい」タイプである

 

自分から人を好きになることもなく、ただただ好かれた相手を好きになっていけたらどれだけ楽な人生なのだろう

 

私が前付き合った彼はそのタイプだった

自分から人を好きになることはなく、来るもの拒まず

しかし、来るものを自然と本気で愛すのである

(彼とは仲が良かったため長年の恋愛事情を見てそう言える)

 

私は違う

まあ人から言い寄られることも可愛くないためないが

基本誰か異性がこんな私であるが、好きになったくれたのであれば

嬉しいことであるはずが、拒否反応を示してしまう

 

好意を気持ち悪い、

 

と思ってしまうのである

 

だからこの人わたしのこともしかして好きなのか?

と一瞬でも感じたならば距離をとる

 

それが長年のわたしの恋愛傾向から言えることだが

 

なぜ?なぜだろう?私は今こんなにも人に愛されたいのになぜ拒否反応、いや、逃げてしまうのであろうか

 

私の周りのカップルはいう

「付き合うということは"妥協"することである」と。

 

これってどういうこと?

 

私は妥協ができない

妥協して付き合ってもその人を傷つけることにしかならなくないか?

傷つけていいの...?

 

私の中で恋愛はゲームなのではないか、ともはや感じつつある

 

〜私の恋愛傾向〜

 

異性を好きになる→猛アタック→おそらくあちらはまだ好きでもないが、告白をし付き合うにいたる→付き合っていくうちに相手も私が好きになる

 

→相手が私のことを好きになってくれた、とわかったならば

 終了

 

そう、どんなに好きだった相手であっても相手が自分のことを好きになったとわかったら、私は冷めるのである

 

恋愛終了!

 

というのが今までの私。

 

可愛い容姿をしているのであれば、このゲームを続けていけばいい

 

しかし、私はそうではない

だからこそ相手はなかなか自分のことを好きにならないし、このゲームは難しい

 

クリアするのがなかなか難しい

 

それをクリアして終わるのではなく、私は、クリアしても続けていきたい

 

滅多にクリアできないからね笑

 

 

 

そろそろ

ゲームをはじめよう。

 

 

 

 

久々の投稿

 

 

お久しぶりです

 

前回書いた長文の記事がなぜか消滅して投稿できなかったため投稿する気をなくしたしだいです、はい。

 

そして書くネタもなかったんですよね。

最近何か新しいことをしているわけでもなく、ただただ日が過ぎて行くだけですから……

何かないかなあ

 

彼氏ができたら惚気記事とか書きたいんですけれどもね……彼氏できません。笑

 

そんな私は片想いしてる人(知り合い程度の人)を出会い系サイトで見つけてしまい、別人を装ってその人と出会い系内でやり取りしていることが日々の楽しみです。楽しい。

現実の自分だとその人とやり取りするときギクシャクしてしまうけど、偽っているからすんなりやり取りできますね。楽しい。

 

でもその人のプライバシーがあるから、絶対出会い系やっていると知られたくないだろうし、誰にも言えないですね。共通の知人とかには。

 

まあ、そんな毎日を送っています

 

春が訪れないかな

静寂

 

 

わたしは現在帰省している

 

親は見てもいないのにテレビをつけ、テレビを消して静かになると音楽をつけ、音楽をも停止すると話し始める。どうやら静かな環境が嫌いなみたいだ。実は引越しをしたために今の私の実家には私の部屋がない。故にリビングで過ごすしかないのである。そして、久しぶりに私に会えたのが嬉しいのはわかる。私も両親に久しぶりに会えたことは嬉しい。けども、私は自分の時間、静寂な時間がないと生きていけないみたいだ。現在フラストレーションが溜まっている。

 

わたしは自分の家では必ずテレビも音楽も消し無音の状態を真夜中に作り出し、物思いに耽るか本を読む時間がある。それが今回1週間帰省しているのだが、無いのはとても心苦しい。わたしは気づいていなかったのだが、その時間が自分の中で1番好きみたいだ。新しい発見。

 

また私はどうやら家族というものが荷が重いみたいだ。つらい。友人に会いたい。しかし、引っ越したが故に帰省してもその土地には友人がいない。知り合いはいない。知らない土地。

みなさんは家族と友人どちらが大切?

大切というか、家族と友人どちらと過ごす時間の方が好きですか?

私は友人と過ごす時間の方が好きだ

 

友人に遊びに誘われたが帰省してるが故にいけない

 

つらい

 

まだ帰省2日目である

既に返答が決められている発言

 

 

既に返答が決められている発言がある

 

例えば女の子が

「わたしってブスだよね…」には基本

「そんなことないよ!!!!」という返答が求められている

 

わたしは、返答が定まっていることに飽き飽きして「わたしってデブだよね」という友達の発言に「うーん…そうだなあ」と返答したことがある。まあ事実彼女は普通の人よりは肉付きが良く膨よかだった。しかし、わたしの発言は彼女の機嫌を損ない、沈黙が訪れた。

 

暗黙の了解で決められている発言への返答

これってある意味社交辞令的な常識的な台詞なのであろうか

 

わたしはよくこれを覆したくなる

 

実際今わたしは返答が決められている発言を友人に強いられている

 

 

返答に迷う

 

村上春樹

 

 

中高読んだときは共感もできず、わけがわからなかった村上春樹の小説たちを今読むと共感できる部分も増え、とても面白い。ボキャブラリーが乏しいためこのようにしか言えないが、、、でも今読んでも村上春樹の小説には理解できない部分も沢山ある。何年後かに読んだら、また理解できる部分は増えているのだろうか。

 

中高のわたしは小説にあるセクシュアルな部分が読んでて気恥ずかしかったし、嫌な思いをしたものだった。村上春樹の小説にはセクシュアルな部分が多いですからね。ノルウェイの森もそうだけどスプートニクの恋人とか。でも今は抵抗もなく読み進めることができるし、共感もある。これは成長なのであろうか。笑

 

村上春樹の世界観に最近浸っている

 

村上春樹の小説を読んでいると、その場面の節々で登場人物の感情について考えさせられることが多い。他の小説ではあまりないのだけれど。

 

遠藤周作宮部みゆき湊かなえ東野圭吾とかも好きな小説家で結構読むのだが、あまり感情移入はしない。淡々と読み進める感じだ。。。しかし、なぜか村上春樹の小説は感情移入してしまうし、自然と考えさせられる。人間の感情について。

 

最強、日常的な口調が村上春樹の小説風になってきている。ふむ。

 

わたしは今その口調で話すことができる友達が欲しい。村上春樹の小説にでてくる登場人物(特に主人公)は独特な口調の人が多い気がする。その口調で会話することは、とてもロマンチックである。

 

 

 

今は遠藤周作の沈黙を読んで鬱々とした気分である。。。

 

まだ私は夏目漱石司馬遼太郎などの小説を読んでいない。読まなければ。

 

おすすめな小説家いますか?